読切小説
[TOP]
独眼竜
余は男好きであるが、陸奥の大崎家騒動を他山の石として、男を愛するときは、必ず心に留め置くことがある。
陸奥国大崎地方を支配する大崎義隆はうつけ者である。無類の男好きで、その男色趣味が高じて、大崎家を没落させてしまったのだ。
ことの発端は、大崎義隆が新井田刑部隆景という小姓を溺愛したことに始まる。
新井田家は、大崎家中で重きをなす一族であったが、隆景も小姓の分際で、主君の寵愛を笠に着て傲慢なふるまいが目立ち、ほかの家臣たちと亀裂が生じた。
そんな折、主君義隆は性懲りもなく、ほかの小姓、伊庭惣八郎を愛するようになった。
これに怒った新井田隆景は、逆恨みして、惣八郎を暗殺しようとする。
この計画を洩れ聞いた惣八郎は、密かな愛人であった氏家吉継を頼った。吉継もまた大崎家中では勢力のある重臣であった。
かくして大崎家中は2派に分かれ、大きな内紛となる。
事態収拾能力のない義隆は、氏家吉継から隆景らの企みを聞き、うつけにも、当の隆景を直接呼びつけて、「有りのままに申せ」と詰問した。
しかし隆景のほうが一枚上手であった。
「私の知らぬところで、一族がそんなことを考えていたとは露知りません。だからと言って責任逃れするつもりはありません。私の首を差し出しましょう」
などと隆景は、殊勝なことを言った。
義隆は隆景をすっかり信用して「余が惣八郎をなだめよう」などと言い出す始末。
そして、隆景を居城の新井田城まで送り届けたところで、新井田一族に捕まって監禁されてしまう。
ここで余、伊達政宗の出番となる。主君をとられた氏家吉継や惣八郎は、余を頼って徹底抗戦に出る。
新井田隆景側もこれに対抗して、最上義光や黒川晴氏らを味方につける。
こうして小姓同士のいざこざは、奥州一帯を巻き込んだ戦に発展してしまった。
結果、大崎家は我が伊達家に服従せざるを得なくなり、それ以降、没落の一途を辿る。

これが大崎家凋落の顛末であるが、余はこのことから、いくつかのことを学んだ。
まず、相手が小姓であろうと軽んずることなかれ、である。人には心がある。心があればどんな小者であろうと、大きな禍になる可能性がある。
たとえば余が40代半ばの頃、只野作十郎という小姓を愛していた。
その作十郎が浮気をしていると密告を受けた余は、宴席で作十郎を厳しく非難した。
作十郎は身の潔白を示すため、刀で自分の腕を突き、起誓文をしたためて、余のもとに送り届けた。
作十郎の忠心を知った余は、すぐに侘びの長文をしたためて、作十郎に返した。
手紙の中で余は、作十郎にあらぬ非難をしたことを侘び、その弁解と作十郎に対する愛情の深さを、くどくどと申し述べた。
「――浮気をしていると密告を受け、どうしても貴方の心を確かめたくて、その気持ちを抑えきれず、つい酔った勢いで言ってしまった――余も、股か腕を傷つけて、応えるしかないと思うが、行水のとき小姓に見つかって、いい年をして似合わぬことを、と冷やかされれば、子供たちの恥にもなると思い、気持ちばかりが急いて暮らしている――返す返すも恥ずかしくてならない。どうか余の気持ちを分かってもらいたい」
作十郎は一介の家臣にすぎぬが、余は心を込めて侘び文を書いた。
これで一件落着。作十郎は以前にも増して余を愛し、忠誠を示してくれたのである。

余は浮気者である。子孫を保つため、多くの女を抱いて子を成したが、愛の対象を女から男に向けたのも浮気性からだし、男から別の男に目移りするのも浮気性からである。
余は男色趣味を隠すどころか、むしろ自慢にしている。
そのことが、大崎義隆のように浮気して部下に造反される、という失敗をしないコツかも知れない。お館さまは多情なお人なんだ――と最初から理解させ、あきらめさせることが肝要と心得る。

いっぽう、男との愛において、受け身と立ち身では情が変わってくる。
余はずっと立ち身できたが、歳を経てマラが思うように立たなくなると、ときに受け身の悦びも味わってみたいと思うようになった。
家臣の片倉小十郎重綱は、まさに余をそんな気持ちにさせる武辺者だった。朴訥な顔立ちと立派な体格をして、心もちは純情かつ素朴で、余のためなら仏にも鬼にもなるような男であった。

余が46歳、重綱が30歳のときであった。寝所に呼んで余の希望を伝えたとき、重綱は緊張からガクガクと震えていた。
律義者の重綱にとって、主君を我が身の下に組み敷いて、その尻を犯すことなど、とても考えられぬことだったのだ。
そこで余は一計を案じた。
まず重綱に裸になるよう命じた。フンドシを解いたとき、予想通りの立派なヘノコが現れた。皮がめくれてカリもよく発達している。フグリも重々しくぶら下がっている。
重綱を仰向けに寝かせて、ヘノコやフグリを思いのままに弄んだ。壮年男の逞しいオトコを手にするのは、奇妙な気分だった。
かつては、柔らかい穴倉に突き入れる悦びばかり考えていた余が、いま手の内でドクンドクンと脈動するヘノコを、我が体内に受け入れようとしているのだ。
油をたっぷりと塗りつけ、怒張するマラを掴んで当てがいながら、ゆっくりと尻を下ろしていった。このときに備えて張り形で慣らしてきたつもりだが、生身のヘノコを納めるのは大変じゃった。
それでも中途半端を嫌う余は、最後までやると心を決めていた。度重なる試掘に、菊座がじんわりと広がってくるのを感じた。
あと少し――あと少し――ふいに、怒張したカリが体内に潜り込んだ!
「ひっ!」
思わず声が出た。
あれほどの苦痛が消えていた。代わって、何とも言えない気持ち良さを覚えた。これが男を受け入れる悦びなのか――。
重綱のすべてを受け入れて、余はじっとしていた。体内で脈打つヘノコを感じた。
「どうじゃ、小十郎」
逞しい肉杭に貫かれたまま、余は声をかけた。
少しの間があって、重綱の呻き声が聞こえた。
「お館さま――恐れ多いことで――」
「気持ちいいのか、悪いのか!」
「あっ――気持ちいいです」

こうして余は、片倉重綱を相手に、受け身の悦びを覚えたのである。
重綱もまた臍から下に人格が無い典型で、女とは違う男の味に、すっかり魅入られたようである。あれほど尻込みしていた男が、今や主君の余を組み伏せて、背後から思いのままに犯すようになっていた。
「こ、小十郎――もそっと優しく入れてくれ」
「ははっ、お館さま。優しく入れまする」
言葉とは裏腹に、ズググッと入れてくる。
「うわあっ!小十郎、許さんぞ!そっと――そっとじゃ」



その重綱が、大阪冬の陣にあたって、伊達軍の先鋒を願い出た。余の恩に報いたいという、真摯な気持ちが身に染みるほど伝わってきた。
その気持ちを尊重して、願いを承知するしかなかった。余は、重綱のごつい身体を抱き寄せ、涙をこらえて頬に口を押し付けた。
「小十郎、決して死ぬでないぞ」
「ははっ!」

豊臣方と徳川方が激突した大坂冬の陣で、先鋒隊長片倉重綱は、鬼の小十郎と恐れられる活躍をみせた。
また、翌年の夏の陣で、徳川軍が最も警戒した後藤又兵衛ら豪傑を相次いで倒した。
日本一のつわものと呼ばれた真田幸村軍とも激闘を繰り広げ、敵将の幸村から幼子たちを託されるほど、その人柄を見込まれた。
しかし幸村は重綱の主人ではない。主人は余、伊達政宗である。
戦ののちも、余はこの律儀な人格者を、心身ともに愛した。

豊臣家が滅んだ後、徳川秀忠と共に上洛した余は、近衛信尋という美しい青年に出会った。後陽成天皇の皇子で、近衛家の養子になった男である。近衛信尋は、20歳の若い右大臣であり、余はすでに52歳になっていた。
信尋は、天下に隠れなき美男として人気があり、上洛してくる武将たちのあこがれの的であった。言い寄る武将たちも名の通った者ばかりで、藤堂高虎や柳生宗徳なども、かなり執心していると聞く。
もちろん余も、この魅力的な近衛信尋のとりことなった。
そして信じられぬことに、意を通じてみると、この若き右大臣はあっさりと了承した。
あまたいる武将の中で、信尋がなぜこの片目の老いぼれを選んだのか、人の心は不思議なものである。余は、伊達者と呼ばれるほど見栄えに気を遣っていたが、今やでっぷりと肥って、昔の面影はない。

余と信尋は、時を経ずして関係を結んだ。そして信尋の性癖にすぐ気づいた。
信尋は、余のような肥った年配者が好みなのだ。それに高貴な生まれに関わらず、年寄りに虐められ、甘えることを無上の悦びとしている節がある。
「ほほう、右大臣どのはそそられる尻をしてる。この尻を、これまで何人の強者どもに、許したのであろうか」
信尋の下腹部を剥き出しにして余がうそぶくと、この初心な美青年は、身も世もあらぬ風情で、か細く応える。
「ああ――どなたにも――政宗さまが初めてでございます」
「ふふふ――それはどうかな――では調べて進ぜよう」
余は信尋の小さな尻を押し開いて、秘所を露わにした。
「ほほう、これはきれいだ。薄紅色をして、まことおぼこ娘でござるな」
余は顔を寄せて、口取り(口淫)を始めた。
「ひっ!こんなこと――恥ずかしい――」
信尋は袖で顔を覆い、いかにも恥ずかしそうな風情だが、尻は余のほうにしっかりと向けている。
菊の襞がキュンと窄まり、ついで徐々にゆるんでくる。
見掛けの初心さに関わらず、すでに経験している反応だ。
(やはりな)余は得心した。
こと男色に関しては、貴族は武家よりもはるかに歴史があり、性戯も進んでいる。貴族の信尋が、男を知らぬはずがない。

それにしても、これほど男の獣欲を掻き立てる尻は初めてだった。心配していた余のマラも、先ほどより隆々と生い立っている。この数年にない充実感だ。
余は当てがい、信尋に声をかけた。
「右大臣、入れますぞ」
「ああっ、そっと――そっと入れて下され――うわあっ!ふ、太い――」

京に逗留する日々は、あっというまに過ぎていった。余は毎日のように、近衛信尋と逢瀬を重ねた。
そして無情にも、別れるときが来た。
余は仙台に帰る間際、右大臣に歌を送った。
 今日出て 明日より後の袖の露 干すことあらじ あかぬ別れに
(今日出発して、明日からは袖を濡らしましょう。その涙は乾くことがありません)
これに対して、右大臣は即座に歌を返してきた。
 あかずして別るる人の 言の葉や 又逢迄の形見とはみん
(なごり惜しく別れる人の言葉です。また会うまでの形見としましょう)
余と右大臣は、仙台と京という果てしなく遠い地に住みながら、心はいつもお互いのことを思っていたのである。

余は幼少時に患った疱瘡(天然痘)がもとで、右目を失明した。その分、世の中の出来事をよく見ようと腐心してきた。
戦国の世の中では、権謀術数をめぐらせて生き抜いてきた。
そして世情の安定したこれからは、領国の開発に力を注いでいこうと思う。
かたや私事では、子孫のために女を愛し、そして心を潤わせるために男を愛してきた。
我が人生に悔いは無し。

(あとがき)
私の好きな戦国武将のひとりが、独眼竜、伊達政宗です。彼は戦国の世を生き抜き、最後は仙台藩の祖となります。
生き馬の目を抜くこのような時代に生きて、彼ほど多くの武将たちに愛された人物は、珍しいでしょう。
3代将軍徳川家光などは、政宗が病床についた際、医者を手配したうえで、江戸中の寺社に快癒の祈祷を行わせ、死の3日前には家光自らが見舞いに行っています。政宗が亡くなると、父の秀忠が死んだときよりも嘆き入り、江戸で7日、京都で3日の間、殺生や遊興が禁止されたといいます。
政宗の辞世の句は、「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」でした。
なお映画などで、刀の鍔型をした眼帯で右目を覆った政宗が登場していますが、残存する古い肖像画を見る限りそんな姿はなく、白濁した右目はやや小さく描かれたり、あるいは普通の瞳が描かれたりしたものもあります。           サンタこと好若神亀
21/08/13 11:43更新 / サンタ

TOP | 感想 | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35c